数年前から地元の友達と旅行に行くようになった。
地元を出てからというもの、地元に帰るタイミングは長期休みの時だけで、そこの予定を毎回奪うわけにもいかず、また、自分自身もなかなか自由に出歩けるわけではなくなってきたし、それは友達のほうでも同じような事情を持っていたり。
それらすべての解決案が、通常の週末の弾丸旅行。行くたびに、俺たちは大人になって、大人の遊びをしているなぁなんて話をしている。うまい料理に少しのお酒と、若かったあの頃夢中になっていたゲームやトランプをして死ぬほど笑える幸せ。そこに温泉や、この年だからこその楽しみなど。生きててよかったなぁと、しみじみ思わせてくれる友達がいて、本当に幸せだと思う。
人生がエモすぎる。子供の何気ない言葉にハッとさせられることもあるし、保育園の卒園式なんてエモ以外の何物でもなかった。
若くてかわいい先生に抱きしめられる我が子を見て、涙ぐまされたりなんかしている。もう、いろんな感情が渦巻いて訳が分からなかったり。
数年前まで想像もしなかった感情を持っている自分を不思議に思ったり、なんというか、納得してもいるのだけれど、それでもふと、大学の頃に住んでいた、あの今里のアパートに夕日が映し出した物干しピンチの影を思い出す。何度も、何度も。
あのとき、壁に立てかけた座椅子の背もたれにほとんど首だけ預けるほどにずり落ちて座りながら、回る物干しピンチの影を見て僕は「あぁ、俺はきっとこの情景を、何年たっても思い出し続けるのだろうな。今こうして感じている感情を、一生忘れられないだろうな」と思ったことが本当に起きている。あの時の想像は全く正しかった。
大学生活が終わろうとしていて、とても重要な4年間が過ぎてしまい、もう戻らないことを悲しんで、人生が進んでいくんだということに打ちひしがれていたあの時の気持ちが、今でも終わっていない。
今こそが人生なんじゃないだろうか?と、なんだかそう思っている。
もう少し経つとまた、今手にしている特別なものが、なくなってしまうんじゃないだろうか。

久しぶりにやった。衰えてないな。

手を広げたくなる海。友人撮影。