Love QWERTY

いろいろなことがあって、何か書き残しておきたいなということがいくつもあったのだけれど、いざパソコンの前に座れるタイミングになると全然思い出せない。
僕はやっぱりキーボードが大好きだ。キーボードでないとこういうことは書けないし、書く気にならない。現代っ子スマホのフリックでこういうことをスムーズに出力できるようになるんだろうか。僕はペンよりも、思いを文章化するのならキーボードが適しているような気がしている。もちろんペンで書く字も愛しているし、人とのやり取りでの字の力は唯一無二だとも思うけど。
キーボードの前に落ち着いて座ることができない生活で、頭の中の思いを文章化する機会がなく、なんだか頭にもやがかかったような気分で過ごす日々。こうして指を動かすというか、思いに合わせて勝手に指が動く感覚が気持ちいい。
今回のワールドカップは時間帯が良かったということもあるのか、いつになくいろいろな試合を楽しく見れた。一番見てよかったのはフランスvsアルゼンチン。ムバッペがメッシの時代を終わらせた試合。きっと忘れられない試合の一つになるだろうな。今年はエスパルスの調子がよく、良いサッカーライフが遅れそう。シティの黄金期でもあるし、楽しみだ。ぜひシルバにビッグイヤーを掲げてもらいたい。そしてあわよくば、晩年Jに来てくれないだろうか。来てくれないだろうな。地元のクラブで引退するのが希望だって言ってたし。
最近、人生で最も映画を見ている気がする。僕は自分のことを映画好きだと思っているのだけれど、ここ数年は、映画好きだなんて言いつつ年に数本しか見れていないし、映画好きという看板を下ろせないだけの口だけ野郎だと思っていた。映画好きだという自信も失っていて、映画についての話題に入ることもためらっていた。でも、今こうして見始めてからは、自分が映画好きだということにすごく自信が持てるようになってきたし、実施際に映画を見ている間とても楽しく、幸せだ。自分には本当は映画を与える必要があったのだ。欠けていた自分が、映画を見ることで満たされ、完成していく感覚を覚えている。今年見た映画は7月末時点で57本。このペースなら今年は100本見れるかな。ぜひランキングをつけてみたいけど、誰に求められているわけでもないのに、全くジャンルの異なる映画にどう順位付けようか悩んだりしている。それも楽しい。
まさか、関わりあうことは一生ないだろうと思っていた人種、風俗の商売をしている人と酒を飲んだ。といか、ほとんど初めて一人で飲みに行った時に、知り合いに教えてもらったバーで、一人で来ていた客同士として、マスターを介して話をした。言われなければそんな商売をしているなんてとても思えないような容姿の良い人で、衝撃を受ける。本当に世の中は広い。自分が生活しているエリアから一歩出ると、本当にとんでもない世界が広がっている。とても残酷だったり、暴力的だったり、大きな力が渦巻いている世界が本当にこんなに近くに存在するんだなと、恐ろしくなることもしばしば。それは大阪という街の特徴でもあるのかもしれないが。あの子とは、金を出せばできる。というか、とても不思議な感覚なのだが、女の子の側では、金を払ってくれさえするなら、やりたいとさえ思っているわけだ。こういう理解であってるのか直接聞いてみたところ「まぁそうだね」とのことだった。知り合ってから金を払ってしてもらうというのは、いまいちどうも、と感じるのだが、それは経験がないからだろうか。先に客として相手をしてもらった後、偶然飲み屋で出くわすほうが嬉しいだろうか?どっちでもいいな。何を書いているのだ。
今年はとても暑い。「暑い夏」と聞いて思い出す夏がある。思い出はこれから色々と増えていくだろう。そうあってほしい。でも、増えたとき、自分で過去を色褪せさせてしまわないようにありたいと思う。過去を否定せずとも今を肯定できるのだということを忘れないように戒めたい。
またSpringCourtを買った。白4代目。白が4足で、違う色が2つあるから、6足同じ靴を買っていることになる。もう10年以上の付き合いだ。ただ、僕が愛したSpringCourtはもう存在しておらず、僕の中での品質は下がり続けている。形も質も変わったし、ミントの匂いさえなくなってしまった。形が変わているのだから、G3としてほしい。僕が愛した本当のG2はもうどこにもない。色が違う、僕の靴箱に入っている2足が僕にとっての最後の本当のG2だ。安物を探して買ったので、パチ物をつかまされてしまったのだろうか。とても残念だ。人生で一番はいている靴で間違いない。小学校の上履きをも超えた。ちょうど倍くらいだ。思い入れのあるものがあるというのは、とても良いことだと思うし、気に入っている。
名言だなという言葉を聞いて、何かに書き留めておいたりしてさ、いつか大切な誰かにそれを伝え、感動してもらえたとする。
そのあとで、その言葉をもらった側が元ネタを発見してしまったとして、その時少なからず幻滅してしまうだろうか。言葉を送った時、その言葉が本心なのであれば、それはそのまま相手に伝わり、残り続けてほしいなぁと。そんなことを思った。
70年代、80年代の曲をかけるクリス松村のラジオをよく聞いている。AKBの女の子とクリスが話している中で、「この間カラオケに行ったんです。そこで赤いスイートピーをいれたんですけど、その瞬間に『あぁクリスさんだ!』ってクリスさんのことを思いだしました」って話をしていて、とてもグッと来た。曲を聴いて誰かを思い出すという経験は誰にでもあるだろうけど、思い出されたということを伝えてもらうのって、とても幸せなことだと思う。
それを聞いたクリスはもちろん喜んだ上に、「それを言うなら思い出した」と言って、こんな話を始めた。「この間講演を見に行ったんだけど、そこで突然赤いスイートピーがかかったの。それで突然踊りだした子がいたんだけど、それが少し前にアイススケートで有名になった町田君だったの。それで終わった後に、素敵だった、すごくよかったと伝えると、『そうですよね、クリスさんわかってくれましたよね。クリスさんを想像して、僕はこの曲を踊ったんです』って言われたのよ」と話していた。この話を聞いたAKBが、「えー」といった後「好きになっちゃいました?」と返すのだけれど、その返しがとても良いトーンで、「わかりますよ」「そんなこと言われたら当然ですよね」というニュアンスを含んだとても良い声と間で、最高の返しだった。クリスはこの問いかけに応えないのだけれど、それについて追いかけることもなく、最高だった。顔も知らない女の子とのことをちょっと好きになる。僕はラジオに恋をする癖があるのかもしれないな。
うちの会社の調子が悪く、ここの所送別会続き。週末もまぁまぁ近しい先輩の送別会だ。僕は運よく変わらない日々を過ごしているのだけれど、いろいろと考えなければという気だけはしている。実際のところ何も考えていないし、状況に必要だと突きつけられるまでは何もしないのだろうとわかってもいるのだけれど。望まなくとも時間は進んでいるのだなぁと気づかされる日々。
今年はたぶんサマソニに行かない。ノエルは少し後ろ髪を引かれるけれど、見たいと思うバンドの時間帯が駄々かぶりだし、ほとんど室内でフェスに行く意味が半減だ。それでも行ってビールを飲めば幸福感に包まれるだろうということは想像にたやすいけれど。一度行かない夏を挟むことも、人生にとってプラスなのだと言い聞かせて。