2007年12月20日

prosugi2008-05-11

結局僕らは仲さんが作った道の上をキョロキョロしながら歩いてるだけだ。遠く離れたところの音楽は見えていない。それでいいしそれしかできない。僕らは黙ってMODULAR勢とかLAPRIESTとか聴いてればいい。いい音楽であることに違いはなくてただ自分の上に仲さんがいるってだけだ。レーベル社長やレコード店の店長が気になりだしたらもう終わりだと頭ではわかりつつも、考え方がそこまでたどり着いてしまった。僕にとって仲さんの影響力が大きくなり過ぎた。
「お前は結局どうしたいんだい?」という解のない問い。いつだって何をするにもそう聞かれてる。今までなんとなく積み重なってきたいろんなものが潰れてく。
 先週末に職場の先輩が死んだ。一つ先輩。年下。原因不明。いきなり意識を失ってそのままだったらしい。彼には自分の人生を振り返る時間があったんだろうか。よくやってきたよ とか これを残せたんだから頑張ったって言えるだろう とか 会えてよかったなぁ とか 楽しかったね なんて誰かと過去を振り返られたんだろうか。振り返った事があったんだろうか。面と向かって言葉を交わすことはもちろんできなかったんだろうけど、思う事ぐらいできていたらいいのに。僕は最後にそれがしたい。
 くだらないことが多すぎてどうにも浪費をしているだけのように感じてしまうことがある。やっぱり「お前は結局どうしたいんだい?」だ。会社で一日仕事をしてると、今そう聞いたらこいつはなんて答えるんだろうってたまに思う。
 どこかで読んだが、著者の職場は席とトイレがすごく近くて中の音がまる聞こえらしい。彼はおならをするためにトイレに行くが、音がまる聞こえなのを知っているためトイレを一度流して水音を出し、足を広げて音を出にくくした上に、手をサイレンサーにして屁をこくと綴っていた。さらに早いタイミングで水音が1度だけするのは不自然なので、水道から水を出し、小をしている振りをしてからもう一度トイレを流すとも。この上なくどうでもいいが面白い。そんなことをしている人がいるということだけで少し楽しい気持ちになる。
 今日トマトソースを作った。一番美味い料理というのは自分が作った料理なのかもしれない。自分でしたものが一番だと感じることが多々ある。自分の子供が一番かわいいというのもそうだろう。傍目にはわからないものでも当人にとってそれはベストで、そう感じられるだけで十分だ。客観視したときに相当酷いレベルで無い限り、そうだ。
 「作者が何を思ってそれを作ったのか。君はそれを考えたことがあるのかい?」
 昨日の深夜アルツハイマーの母親を介護しているドキュメント物を偶然5分程見た。会話は成立するし、自分が誰なのかも分かってる。看病してくれているのが娘だということも分かってるし、駄菓子屋をやりたいという思いもあるようだった。96歳。見ていられずにテレビを消した。きっと長く生きれば生きる程、彼女にはできなくなるんだろう。
 自分があの時どう思ったのか。僕はなるべくそれを記憶していたい。忘れる必要があることなんて一つも無い。でも僕はどんどん見たものを忘れていくし、感じたことも忘れてく。彼女となんら変わりは無い。
覚えているうちになるべく詳しく何かに残せておけたらいいと思う。データの中か、フィルムの中か、誰かの記憶の中か。あの時どう思ったのか、何を見たのか、そのときどんな景色が見えていたのか、思い出そうと思った時に なるべく鮮明に思い出せるように。