2度目


今日も同じことが。タバコに火をつけてる間ではなかったけれど。シャッターを長く切ってみても見つからなかった。


ツイッターで被災者の皆さんは励まされているんだろうか。走りたくもないマラソン大会で、走らなくてよい人達から応援される気持ちにならないだろうか?安全地帯側のおもちゃでしかない様な気がする。おもちゃは言いすぎか。電車とか、電気とか、情報伝達ツールなのかな。
まぁ、励まされる人が独りでもいるのなら。
週末、ひょんなことから会社の後輩の女の子達と晩御飯を食べに行ったのだけれど、一緒に食卓を囲んでいる間終始携帯をいじっていて、おそらく東京に住んでいる知人が帰宅するのに苦労している様をネタ的に書き込むツイッターを見て、この人たちチョーのんき!なんて笑いながら報告しあっていた。僕の同期も同様で、みんな楽しそうに話してる。その人達と連絡が取りたいのなら帰ってすればいいのにとしか思えずも、この空間での異人種は僕で、帰るのなら僕だった。
何のために同じ食卓を囲んでいるんだろう。本当に普通の、まじめな子たちなのに、何でこんなにもわかっていないんだろうと思う。
僕がずれているんだったら、ずれたままでいたいと思う。これが世の中の流れなのだろうか。だとしたらちょっとついていけないし、ついていくべきでもないと思った。
連日地震関連の番組しか流れておらず、エンターテインメントにするのはどうかと思いつつも、家族再会のシーンや、母親を探す女の子の姿を見せられると涙が出てくる。
現実的に、僕は金を送ることくらいしかできないけれど、今、金を必要としている人なんているんだろうか。