心理心裏真理

prosugi2008-06-18

何かのCMで使われていた「私は私の選んだものでできている」ってフレーズを忘れられない。
僕は服と音楽と映画が大好きで、それなりに時間と金を掛け、良いものを選んで着たり聴いたり観たりしてる。という自負がある。
服好きを語るからにはユニクロの袋なんて持つわけにはいかず、ファッション史に残るような代表的なスタイルの特徴や思想くらい知っていなければならなず、音楽好きを語るにはJPOPなんて知りもしないし、世界の名盤を知らないわけには行かず、映画好きを語るにはアクション映画なんかに興奮してる場合じゃなくて、ショーシャンクの空にのすばらしさを語らなければならない。
実際そんな考え方で、そうしてきた。僕と映画について喋りたいんだったら、せめて監督が誰なのかって事にくらい気を向けてくれ。音楽について語りたいんならヒットチャートなんか追いかけないでくれ。なんて。
それは苦痛でもなんでもなく本心で、本当にすばらしいものを判断する力がついたような勘違いを僕にさせてくれている。ただなんとなく好きだから着ていたり、聴いているなんてレベルが低すぎて恥ずかしい。そう思ってる。思ってた?
私は私の選んだものでできている「by消費者代表」
下を見たらきりが無い。けれど上を見たら恥ずかしくて死にそうだ。文化的な人間を気取ったところで、与える側の人間にはなれやしない。せいぜい、読み漁った知識を与えられるくらいだ。それにしたって
ペトロフスキーが言った言葉を知ってるかい?ペトロフスキーは『過去を記憶できないものは、罰として過去を繰り返す。』『進歩とはおよそ変化からなるものとはほど遠く、よき記憶力によるものである』といった事を言ってるんだ。これはどういうことかって言うと......・・・・トルストイは知ってるかい?彼はまだ社会に道徳というものが確立されていない時に道徳を説いたんだ。光るあるうち光の中を歩めって本がわかりやすくていいよ。これはキリスト教にからめて道徳の概念を示しているんだけど.........」
なんて事を底辺の僕が語ったところでいったい誰が聞いてくれるだろう?きっとあなただって御免でしょ?僕だって御免だ。