刺身の盛り合わせ

10時過ぎに目を覚ますと大雨で、淀川の花火大会は中止との事だった。大阪に住んでから初めてのことのような気がする。行く予定はなかったが家から見ようと思っていたので残念な気持ちになった。
遠い親戚のお見舞いに行った。ホスピスに初めて入ったが、そういう患者さんだけがいるわけではないようだった。人は内臓から死んでしまう。先に脳が死ねば、楽しいまま生きられるのに。ひまわりが綺麗だった。もしかしたら、サマソニに行けないかもしれないな。
一昨日月が明るいと思ったら、明日の月が上がる頃、満月のスーパームーンになるらしい。大阪の雲はなくなっているだろうか。明日、月を見るのを忘れないように、机の上にメモを置いた。
月の明るさに気付けたことが、少し嬉しい。

焼きうどん

今日も寝坊。
こうやってだんだんと会社に行く時間が遅くなっていく。
何年か前は1時間ほど早く会社についていたのに、今では今朝のような時間になってもそれほどあせらないようになってしまった。
お盆休みが終わったら少し巻き戻そうと思うが、できるだろうか。
今日はドアを開けた瞬間、あぁ、今日は暑いなと思った。昨日日記を書いた効果だ。
仕事では拠り所していた現象が否定され、活路なし。もう後は担当のやる気次第だろうからと早く帰った。
帰りに梅田の手芸品店に寄り、ファスナーを数種類買った。
サマソニではいつもポケットにサイフ、携帯、たばこを入れているため、モッシュで落とさないように工夫が必要なのだけど、これまでは粘着式のマジックテープを付けていた。
だが、マジックテープの接着力が粘着剤の両面テープよりも強いため空けるときに気を使わなければならないことと、平常時、開けっ放しにすることができないため使い辛かった。
そこで今年はファスナーを付けてみようと思い探したのだが、取っ手の部分がファンシーなものしかなく、気に入っていない。
でも、道具を自分用にカスタマイズする作業はとても好きだからやってみる事にした。
朝は暑かったが、帰る時にはかなり涼しく、梅田では雨に打たれた。今度の台風は大阪にやってくるだろうか。
豚肉、カット野菜詰め合わせ、うどんを買って帰り、疲れていたため少し寝た後、焼きうどんにして食べた。
洗い物は明日。

鯖の塩焼き

とても疲れて目を覚ます。普段よりも30分寝坊した。あわてて家を出たからか、今日が暑かったのかどうか覚えていない。
夏休みだというのに相変わらず制服で学校に向かっている高校生とすれ違う。
今週終えればお盆休みだという思いと、全く抜けない疲れからずっとやる気が出なかった。毎日毎日高いモチベーションで生きる事はむずかしい。
今日は特別月が明るかった。満月でもないのに。
家に帰って洗い物を片付け、さばを焼いて食べた。

GOODBYE HATENA と付ける勇気もない

こんな事を続けて僕はいったい何がしたかったんだろう。仲間がほしかったんだろうか。
中学の頃、メモ用紙にずらずらと文字を書きなぐっていたことがあるのだけれど、それから全く変わっていなくて愕然とする。
仲間がほしいだとか、共感してほしいだとか、そういった感情を満たすためにはアクティブになる必要があるのに、その意欲も度胸もない。
手に入れたいと思うとともに、とんでもない嫌悪感も同居している。
もともと人と仲良くなり辛い性格だった。
知っていたはずなのに、ここでなら、もしかしたらと思っていたのかもしれない。
30にもなって、僕の思春期は終わっていなかったのだ。
こんな文を少しでも興味を持って読んでくれる人と、傷を舐め合いたかったのか。
大人になった僕はお酒をのめるから、一緒に笑い飛ばしたかったのか。
それとも、僕は誰かに羨んでほしかったのか。
たぶん、一緒に時間をすごしたかったんだ。似たような誰かを思い、時代を共有したかった。そんな誰かを知りたかった。

憧れていた人がいなくなり、握ったと思った手がすり抜ける。色々なものが形を変える。僕らは、袖が触れ合う程度でも、心が通ったんじゃなかったのか。
さみしいな。僕はいつもこうだ。

結局満たされてないや

何年も前の夜のことをいまだに思い出す。きっと一生思い出すのだろうと、今は思う。
そのことについて、もう一度喋りたいと思う。あの時、どう思っていたのか、知りたいと思う。
でも、それでどうするんだ?その後、どうしたい?手を取り合って、よりいっそう切なくなりたいのだろうか。
過ぎ去った何かを思い出し、もう一度体験したいと思っているのだろうか。10年以上前のこと、ほんの2,3年前のこと。
毎日毎日幸せだと思って暮らせたとして、満足なんてしないだろう。
全部丸ごと捨て去って、違う世代を生きてみたい。それでもまだ、その夜を思い出すのだったら、いいよな。人生の終わりに奇跡が起こってもう一度人生をやり直す主人公が、一度目のときに夢見ていたことをどんどん実現していって、なんてラッキーな人生だったんだろうと自分の孫かなんかがはしゃいでる姿を見つめて浸っているときに、ふと、一度目の、それを思い出して涙する。何度やり直したって、手に入れられなかったものは美しく、身を焦がすだけの力があってさ、なんて、安っぽい話か?というか、違うな。それはもう、手に入れているって事なんだろうな。手に入れられないものを手に入れているのか。人生に飽きることができるまで、満たされることなんてないし、満たされないことで満たされているのかもしれない。